あおみかんのブログ

フリーランスのIT系エンジニア。ゲーム制作スタジオ4th cluster代表。

死からの遠さは自由からの遠さでもある

ということで、雑記としてまとまった文章にしてみます。 尚、20代後半の割と恵まれた環境に生まれた日本人、という前提で書いてるので、それと遠い環境の人ほど当てはまらない所があると思います。ご了承ください。

「終身雇用制度の崩壊」などと言われるようになって、かといってじゃあどうすれば良いのか殆どの人が分からず、混乱している情勢にあると思いまして、その周りのことをつらつら考えていたら思い至ったのが本稿表題の「死からの遠さは自由からの遠さでもある」ということです。

現代人、そう滅多なことでは死にませんよね。伝染病も代表的なものは駆逐され、職にあぶれる可能性も低く、生きていくだけなら何とかなるわけです。運悪く生まれつき身体が弱い人は例外として、多くの人は、ただ安穏としているだけで80年くらい生きられるわけです。また、生物の一つの本能は「生きのびること」であると思いますし、人間も例外ではありません。この二点を複合的に考えてみましょう。

現代と対象的な例として、ただ黙っているだけで割と死ぬ世界をイメージしてみてください。たとえば、20歳の人が30歳を迎えられる確率が50%とか。 そして、僕らの世界と対比しながら以下の例で考えてみます。 たとえば、戦場ジャーナリストという職に興味を持つとするじゃないですか。当然ですがちょっと振る舞いを間違うと死ぬかも知れないですよね。 ここで、割と死ぬ世界では「どうせ死ぬかも知れないならやってみよう」って思いませんか?僕は思うんですけど。 逆に、僕らの世界でこれを考えると「死ぬかもしれない危ない仕事なんでするべきじゃない!公務員になろう!」って話になりがちなわけです。

この時の意思決定をシンプルにすると「N%生存できる+やりたくない仕事をして一生を過ごす」選択肢と「50%生存できる+やりたい仕事をして一生を過ごす」のどちらかを選んでいるんですね。 生まれた環境での死亡率がNに入ります。 Nが非常に大きいと、あまり冒険的な選択をすることに合理性がなく、挑戦的な進路を選ぶ理由が薄れます。 逆に、Nが小さいほど、挑戦的な進路を選んでみてもいいかなという事になります。 ここで自由の定義を、自分の行動選択の自由度が高いことだとするならば、Nが小さい方が行動選択の自由度が高いと言えると思います。表題が導かれましたね。 まぁ、死んだら行動選択もなにもないので、あまり低い場合も自由度がないんですけれど。

もちろん医療の発達や治安の向上などによって死亡率が下がったことは嬉しいことで、それを否定する意図はありませんよ。ただ、一つの事実の側面として、確かにこういった事は言えると思います。

あんまり纏まりないけれど、言いたいことは書き切ったので、ここらで一端、筆を置きます。