読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

あおみかんのブログ

フリーランスのIT系エンジニア。ゲーム制作スタジオ4th cluster代表。

「無彩限のファントム・ワールド」は「アンチ・シャフト」なんじゃないか

京アニ新作「無彩限のファントム・ワールド」を見ていて、何となく思ったことをメモる。

真っ先に思ったのは「ダサい」ってことだった。 オープニング曲もダサいし、マスコット的キャラクターのキャラデザがやけに古くさい。ヒロインが今日日ブルマになるってのもダサいなぁ。と。 拳法も格闘技の中ではダサいイメージがあるし、ここまでくると、むしろわざとやってるように思える。

ただ、「ダサい」だけじゃない。「ダサいけど面白い」っていうのが俺の3話までの感想。

主人公が御託を並べるのはハルヒの流れだろうか。随所のエフェクトが攻殻機動隊マトリックスか、どっちかへのオマージュに思えたんだけど、3話で「主人公が格闘技をインストールする」って描写をやったことから、どうもマトリックスの影響があるような。まぁここは今回の主題じゃないので省くか。

うんちく語りも好きだ、この世にないものが出て来るのも好きだ、実世界とはちょっと違う学校、人間離れした動きをリアルに描くことのかっこよさもいい。

僕たちはいつからアニメを「面白さ」ではなく「綺麗さ」や「洗練されている」で選ぶようになったのか。なんてことをふと思った。 魔法陣グルグルとかYAT安心宇宙旅行とか、その辺りの作品が持っていたような魅力って、現代のアニメに引き継がれているだろうか。 なんだか、それが失われかけている気がする。それを取り戻そうとしている気がする。

シャフトの新房監督がぱにぽにだっしゅ!以降でやっていた、独特のオシャレな演出は、オシャレで目を引いたし、なんとなく面白そうに見える。 目新しいものとして存在する分にはよかった。しかし、その成功を横目に、徐々に全体が影響を受けていないか。

工業化・情報化が発達した現代において「人間らしさ」あるいは派生する「肉感」だったり「生活感」だったりというのは「ダサさ」に繋がってしまうんじゃないか。それらは、幾何学的な図形にビビッドな色を配置するモダンなデザインと対立するものなのではないか。人間らしさを追及する上で、ダサさはどうしても出て来る、ならばいっそ「綺麗さ」とか「洗練されている」といった軸は捨ててみないか。代わりにそれ以外の面白さを追求してみないか。そんな感じ。

とても感覚的なことなので考えの描写が難しいのだけど、そういう「洗練されている」の流れ、言ってしまえば「シャフト風」の潮流に真っ向から対立する作品としての「無彩限のファントム・ワールド」なんじゃないかなぁ、って。僕は感じた。ので、ちょっとメモに残しておくことにした。