あおみかんのブログ

フリーランスのIT系エンジニア。つくば在住。

Twiterをやめた話

僕がTwitterを始めたのは大学2年生の頃で、2008年の事だった、たぶん。 3年で2009年だったかも。

ともかく、10年近く慣れ親しんだツールだったけれど、色々思う所があって、メインのアカウントは閉じ、離れることを決めた。

まだ3日かそこらしか経ってないけど、とりあえず好調なので、そのフィーリングを共有しつつメモしておく。

そもそもTwitterをしていたのは、クセになっていたからだったようだ。

仕事中にせよ、日常にせよ、なんとなく「あっ」と気づいた事などがあったらツイートする癖。

プログラマー的に言えば、フックが設定されていた感じ。

意図的に共有するなら、実利的なものだろうと、面白いものだろうと構わないけれど、深く意図せずに何でも書いてしまうのは困りものだ。

そのフック、思考の枷のようなものがなくなると、自分が自由であると言うことを改めて感じるようになった。

もちろん(おそらくちょうど禁煙中の喫煙者のように)「あっツイートようかな」と思う事は一日に何度も(おそらく30回くらい)あるのだけど、もうやめたので、ツイートしない。 そして、ツイートしないから気が散らず、1個1個の本当にやりたい事に集中しやすくなった。気がする。

思えば僕はこの数年、ツイートに「説明責任」みたいなものを感じるようになっていた。

自分の感じた事をざっと書くぐらいで良い筈なんだが、フォロワーにせよそれ意外にせよ、重箱の隅をつつくような「正しい」ご指摘をしてくる人というのがいて、それを考慮して事細かに書かねばならないような感じになっていた。

まぁこれは「重箱の隅をつつく」のが仕事なプログラマーがフォロー・フォロワー範囲に多かったせいもあると思う。自分もそういう所はあるので人の事は言えない。

そうは言いつつ、反応があると楽しいような、中毒のような、まぁそんな感じだった。

Twitterで主に連絡を取り合う付き合いの長い友人知人もいるので、最後には鍵アカにして連絡先だけツイートして追える事にしたんだけれど、そこから連絡取ってくれるような人は、特に大事な友人だと思う。これからも良い関係を保っていきたい。

Twitterは、UIやUXの徹底的な改悪、ネットに元々精通していない人々の流入による極端な大衆化や、フォロー範囲が多い場合に平均化していきインタレストグラフとして機能しなくなっていくなど、さまざまな課題を抱えているように思う。

ゼロ年代以前からインターネットを使っている人間として、今風のネットのよさと、昔ながらのネットの魅力を見据え、そのうち何かできないかな、などと考えつつ、ひとまず一度Twitterからは距離を置き、落ち着く時間を作ることにしてみる。

とりとめないが、とりとめるつもりもなかったので、まぁこれでいいでしょ。

ヘルプマークとかに関する違和感と対策

f:id:akn_ep:20180318203110j:plain ( ヘルプマーク 東京都福祉保健局 より引用 )

ヘルプマークとか赤ちゃんがお腹にいるマークとかあるじゃないですか。

大変よい試みだと思う半面、問題点と対策に気づいたので、ちょっと記事にしてみようと思います。

前提:ヘルプマークや赤ちゃんマークが必要なのはどういう人か

引用したポスターの画像にもある通りですが、大前提として、助けが必要だからこういうマークを下げるわけです。 でも、これって身体的に弱者である事を示すマークでもあって、たびたび以下のような指摘を見かけます。

  • かえって悪い人に襲われる危険があって怖い
  • 襲われるほどじゃなくても、いやがらせなどを受けそうで怖い。あるいは実際に受けることがある
  • 自分が弱者である事を示すことで何らかの差別に会う潜在的な危険性を感じて怖い

まぁ、ざっとこんな感じの話をよく目にするわけで、そりゃそうだよなと思うわけです。

助けて欲しいのはどういう時か

さて、かくいう僕も当事者の配偶者でして、妻が下肢に問題を抱えています。杖ついてるタイプですね。 そういう体力や身体能力に制限のある人にとって何がキツいかというと、真っ先に揺れる乗り物で立ってるのが大抵キツいわけです。なので優先席はとりあえずナイスな試みだと思います。助かる。 もちろん他にも、人混みをかき分けて歩くのが無理とか、階段が無理とか、荷物を持ち上げるのが大変とかあります。

こういう場面でヘルプマークは役立つ…のを期待しているのだと思います。

あと、気絶しちゃった時とか、なんか道ばたで具合悪くなっちゃったときとかは、見りゃ分かるじゃないですか。それはもうヘルプマークあるかどうかに関わらず、そもそも一声かけてあげようよ、というのが僕の考えです。*1

こういった本人が自力で何も出来なくなってるケースは、ヘルプマークの範疇じゃないと思ってます。

結局なにが問題か

前述と被るんですが、弱者にラベリングをするというのが、既に差別や各種犯罪被害の基礎を固めちゃう行為なので、好ましくないわけです。

犯罪者はターゲットにしやすい。差別する人にも差別の最初のキッカケや気づきを与えてしまう。

つまり、誰が弱者かパッ見では分からないようにした方が好ましいと思うわけです。

別解の提案

まぁ、こんな背景で、別解を思いついたのです。

それは「弱者に手を差し伸べる余裕がある人が提示するマーク」を作ることです。

これはいわば強者の側をラベリングする行為です。なのでそんなに差別を増長しないと思います。

もちろん、これも潜在的には悪人が身につけることで悪事に利用されるリスクはありますが、助けを求める相手を弱者側が選べる点で、まだマシだと思います。

ほかにも同調圧力が発生しそうなど問題点は僕も思いつくんですが、現行のヘルプマークなどより幾分マシじゃないかなと思うんですよね。

どのみち、人生に余裕があって弱者救済にちょっと体力や時間を費やしても良いと思う人がいないと成り立たないのはヘルプマークもこれも一緒なので、だったら差別を増長する危険がすくないこっちの方がマシかなーと。

思いつきをざっと書いただけなのでやや雑ですが、当事者や関係者は割と分かってくれるんじゃないかなぁ。 割と良い案な気がするので、行政関係の人とかそういうNPOやってる人とか、好きにパクってください。

*1:ちなみに僕は前に尋常じゃなくふらふらしてる人に声を掛けたら何らかの薬物服用した気配のあるお兄さんにそっとしておいて欲しい旨を言われてアッハイとなりました。

最近のネット(Twitterとか)の息苦しさの原因について

アニメの感想ってどこで書くべきなんだろう

10年くらい前までの「おたくのコミュニティ」みたいなのがTwitterで薄まって崩壊したよなーって感じてる。 再興したいな。

2018/01/10 00:25
b.hatena.ne.jp

増田にブコメしたら地味にスター来てたのでふと僕の考えを書いてみたい。

だいたい2000年頃からネットに入り浸る生活をしてきた僕としては、特にここ3,4年ほどのTwitterに息苦しさを感じている。ただ、それはTwitterに限らず、はてブでもそうだし、Facebookもそうだし、どこのインターネット空間でも大差ないように思っている。

昔のインターネットについて考える

昔のインターネットの良さだったと思うのが、マイナーな趣味が好きな人と繋がって盛り上がれる所だったと思う。インターネットの面白い文化は、そこから勃興したように思う。

(別に流行ってない)ゲームの攻略サイトのチャット、マイナーなアーティストのファンサイト、なんか良く分からんけど特有の文化を持つ謎のBBS、管理人が変なことする意味不明なノリのテキストサイト、そういうものが面白かった。

けど、そういうものが減った気がする。あるいは目に付かなくなったと思う。

なぜ目に付かないか

なぜ目に付かないかと言えば、特にTwitterは、ひとつのタイムラインが存在しているからだ。

人間、誰しも、様々な興味関心を持っている。僕だったらフォローしやすい理由になるのは「ゲーム作者っぽい」とか「エンジニアっぽい」とか「同じ大学の人(在学当時)」とかなんだけど、これが何年も積み重なると、それぞれの特徴は打ち消し合って、いわば「大衆」という集団に近づいていく。いわば「大衆」クラスタに変化し、自分もまたその一員となる。

「大衆」クラスタを多くフォローしていると「大衆」の中で流行っている話題が流れて来がちだし、何気なくTwitterをしていると、その話題に流されてしまう。

文脈の多様性が失われてるのかも

ツイートが炎上したときに良く言われることだけど、Twitterは文脈に関係なくツイートが一人歩きしてしまう。たとえば、気に入らない物言いのツイート(A)を皮肉ったツイート(B)をすると、(A)を見ていない人からは突然なぜか(B)という変な事を言い出した、という風に見える。ここを察することが出来ないと「マジレス」「クソリプ」になる。

その点、2chのようなトピック式の掲示板やmixiのようなコミュニティのあるSNSでは、その空間の中では文脈が共有されているので、上記のような文脈を汲めなかった事による問題が軽減されるように思う。 (2chの場合は「2ch」という文脈があるのがちょっと厄介だけど…)

そこに反発する流れの一つの形が、1人を中心にするオンラインサロン系のサービスかもしれない。

まとめ?つづく?

ちょっと頭に浮かんだことを勢いで書いたので、ところどころ論理の詰めが甘い気がしてるけど、皆、こういうのって、感じてない?

欧米式「個人主義」の育て方の話(「サピエンス全史」の中で気になったことのメモ)

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

発刊から話題の止まないこの書籍の中で、本題ではないけれど、ちょっと興味深い話があったのでメモ。

文脈としては、古代バビロニアにおけるハンムラビ法典の記述では市民に階層があること、バビロニアでは、階層によって等価として扱われる事が大きく違うことなどに言及し「子は親の所有物である」という価値観が浸透していたとするくだり。

以下に僕が気になった所を引用する。

現代の理想的な住宅は、他人の目から遮られ、最大限の自主性を提供できるプライベートな空間を一人ひとりの子供が持てるように、多くの小さな部屋に別れている。こうした個室にはほぼ確実にドアがあり、多くの過程では、子供がドアを閉め、さらにはカギをかけることまでもが認められている。親でさえ、ノックして許可を求めずに入ることを禁じられている。

(サピエンス全史(上) p147 より)

数万年にわたる世界中の人類に思いを馳せた著者が、これを「現代の理想的な住宅」と言及しているのは、かなり興味深いことだと思う。欧米でのなどと限定する句を入れ忘れるくらい、彼の中ではこれが「理想的」と感じるのだと思う(※著者はイスラエル人)

まぁ個人的には、それが理想的だと思うけれど、日本人の多くの人は、むしろ抵抗感があるんじゃないだろうか。親子の絆とか、家族の団らんとか、そういうのが失われる的な。世代による差がかなりありそうですけどね。

さて、昨今の日本は「個人主義」が広まっていると言われるが、これは本当なんだろうか。個人主義の良さは他人(社会)にあまり引っ張られずに、自由意志で行動できる事だと思うのだけど、そういう精神性を育てるには、上記のような環境が必要なのではないだろうか。

この短い文章を読んで思ったのは、現代の日本は、個人主義に必要な精神性を幼少期〜思春期の間に確立することもせず、大人になると個人主義的な強い自我の発揮を求めるっていう、一貫性のない状況になってるんじゃないかなーと言うことだった。

欧米と日本の差異というのは、やはり気になる話題で、こういった海外書籍の中にあるちょっとした記述に、根本的な認識の違いが垣間見れて面白い。

「どうぶつタワーバトル」がヤバい

ちょっと余談から入ります。

先日、星のカービィシリーズスマブラシリーズを手がけた桜井さんの記事が上がってました。

news.denfaminicogamer.jp

以前もCEDECでの公演内容がGIGAZINEに載ってたのですが、Web向けに丁寧にスライドやスクショを含めて校正されたものになっていました。

タイトルと何が関係あるのか。と言われそうなので今回のトピックを明確にしてみます。

一見すると、テキトーにゲームジャムで作ったようにも見える「どうぶつタワーバトル」ですが、桜井さんが指摘しているゲーム性の本質を綺麗に突いている、っていう話をしようと思います。

どうぶつタワーバトルとは何か

どうぶつタワーバトル

どうぶつタワーバトル

  • Yuta Yabuzaki
  • ゲーム
  • 無料

play.google.com

どうぶつタワーバトルは、iOS/Android向けの対戦ゲームアプリです。 Unity製っぽいです。

作者のYuta Yabuzakiさんは「レモン メロン マカロン」などのちょっとシュールでシンプルなゲームを作っている方…のようです。詳しく知らないですが、今回突然ゲームを作られた訳ではなく、何作も作ってきた方だという事だけは知っておきたい部分ですね。

「リスクとリターン」に基づいて考える

記事の全編にわたって「ゲーム性の本質とはリスクとリターン(リワード)である」という事が語られています。

ルールを作ってPvPにさえすれば、ある程度は満たせる事が多いと思うんですが、どうぶつタワーバトルはこれを高い精度で満たしているように思います。

  • 安定させて置くと、対戦相手もその上に置きやすい(リスクを取らないとリターンも少ない)
  • 不安定に置くと、対戦相手はその上に置きにくい(自分が負けるリスクを負うことで相手を倒しやすいリターンを得る)

極めてシンプルですが、綺麗にリスクとリターンが表裏一体になっていると思います。

「遊びと人間」に基づいて考える

さらに、最初に上げた記事の3ページ目には、4つの「人間の持つ遊びの要素」が「遊びと人間 (講談社学術文庫)」から引用されていました。孫引きで好ましくないですが、構成の都合上、ここにも引用していきます。

1. アゴン=競争:対戦や勝負事、受験やテーブルゲームなど 2. アレア=偶然:ギャンブル、じゃんけん、ダイスで振って決めるのものなど 3. ミミクリ=模倣:ごっこ遊びや、演劇、テーブルトークロールプレイングゲームなど 4. イリンクス=めまい:ブランコやジェットコースターなど、感覚に訴えるもの

こう並べてみると、どうぶつタワーバトル、かなりシンプルでありながら、4つ全てをかなり高い精度で満たしていると思います。 沿うように書き下してみます。

  1. ネット上でマッチングする対戦ゲームであり(アゴンを含む)
  2. どのどうぶつを引くかはランダムであり(アレアを含む)
  3. 現実のどうぶつの写真が積み上げるモチーフになっている(ミミクリを含む?…こじつけ気味ですが…)
  4. 現実の物理法則に沿ってゆらゆら揺れたり落ちたり綺麗に乗ったりする(イリンクスを含む) *1

如何でしょう。ミミクリはまぁ、ちょっと的外れてるかもしれないんですけれど。

ジェンガの話もしておく

ていうかジェンガじゃん、って言われる気がしたので先にちょっと書いておきます。

ジェンガとの差分は、案外結構あります。

  • どうぶつ出現のランダム性によって、下手でも勝てる余地がそこそこある
  • 負けた時に「ガラガラガラッ」ってならずに間抜けにどうぶつが崩れていくだけなので、そんなに不愉快じゃない*2
  • 得意不得意が大きく分かれる3次元的な指先の器用さは求められず、目測と想像力のゲームになっている
    • 特にジェンガは「指先器用ゲー」だと思うんですが、どうぶつタワーは「目測&予測ゲー」だと思います。このふたつ、結構違う。

おわりに

そんなわけで、どうぶつタワーは一見カジュアルな(だけの)ゲームに見えますが、シンプルながら要点を押さえたゲームだという話でした。

「どうぶつ」で検索された結果だろうというのは一因だと思いますが、でも、流行るだけの理由がありますね。

個人的には、全体的にシュールな感じがかなり好きです。

*1:正しくはニュートン力学の近似に沿って、となりますが

*2:個人差あるけど、数人の友人の前で何かを失敗するのは、そんなに愉快では無いと思います

「どうぶつの森 ポケットキャンプ」の「なぜ」を肯定的に考えてみる

先日エントリを書いたら、想定よりもずっと沢山の人が読んでくれたので、引き続きこのタイトルについて考えてみようと思う。

aknep.hatenablog.com

改めて言及するけれど、初代「どうぶつの森」からGC版2作目「どうぶつの森e+」までが好きだった僕にとっては、受け入れがたいゲームシステムだったのは率直な感想だ。

ただ、ブコメでも言ってくれた人がいたように、(規模はともかく)ゲーム制作をしているのであれば、否定的に見るだけでなく「面白いと言っている人がいるのは何故か」についても検討するべきというのは、ご尤もな指摘だと思うし、そうしてみようと思った。

IGNからもポケ森についての記事が出ていたが、大人の書き方であったし、僕の書いた記事よりもずっと深い考察をしていて素晴らしいものだったので紹介したい。

jp.ign.com

今回の僕の記事も、先のIGNの記事と着眼点が被る部分が出てくる事は避けられない、なるべく僕独自の洞察も含めるので、お許し願いたい。

あらためて僕とこの記事の立ち位置

前回の記事では、最初の印象として「つまらない」と感じたので、その理由について分析してみた。

ただ、それは僕が「どうぶつの森」の大ファンであり、過剰な期待感と共にプレイした事も理由の一端だと思う。

その時の盛り上がりと言えばこんな感じ。

そういう訳で、否定的なエントリを書きつつも、引き続きプレイしてレベルも19になった僕が、今ならリリース当初の過剰な期待感も拭えた頃合いだし、個人的にゲームへの洞察を深めるため、務めて肯定する方向でこのゲームについて考えを深めてみたい。*1

典型的な「スマホゲー」UIとの融合

まず、僕は典型的にスマホゲーらしいUIが苦手だ。

中でもゲームUIというよりもスマホのアプリUIっぽいものは、ゲームの世界観や、プレイヤーキャラクターになりきるという観点での一種のナラティブを損なう傾向が強いと考えている。

パズドラが大ヒットして以降、iOSのTabBarを元にしたような下部のタブUIが普及したが、特にこれが大の苦手だ。

「ゆけ!勇者」( xHachiApps )みたいな、全編がスマホUIで、スマホUIから勇者を操るっていう概念が一貫しているタイトルならまだしも、そうじゃないタイトルでやられると凄くモヤモヤする。

でも、分かりやすいのは間違いない。ただでさえプレイ方法をユーザーに理解してもらうのが難しいタッチパネルにおいて、普及しているUIを採用したのは、むしろスマホでしかゲームをプレイした事がない若いユーザーへの歩み寄りだということも強く感じる。

前提が長くなったが、このUIに関しては結構大事な話がある。

それは、ポケ森のUIを開発した方は間違いなくこれらの話は正確に押さえていて、その上でなるべくプレイヤーとプレイヤーキャラクターとの一体感(≒ナラティブ)を損なわないように注意している。

タブの一番右のメニューを開いた時に、プレイヤーキャラクターがスマホを弄っているところがそこだ。これはすごい。プレイヤー本人がスマホを弄っている時、プレイヤーキャラクターもスマホを弄っている。

大半のゲームシステムでは、プレイヤーが操作している時にプレイヤーキャラクターが対応する行動をしているというような対応関係が綺麗に出来ている方が良いと思う。これと相性のすごく悪いであろうタブUIを上手くすり合わせたのは、偉業と言って良いと思う。

なぜ自由度を下げたのか

前回のエントリに書いたとおり、ポケ森は本編に比べて自由度をかなり下げている。これは間違いなく意図的なものだ。逢えるどうぶつがレベルに応じて解放されていく一連のゲームシステムはこれまでのどうぶつの森シリーズにはなかったもので、今作でわざわざ追加したものだからだ。

では、何故自由度を下げたのかというと、1つはスマホゲームユーザーへの歩み寄りだと思われる。これに加えて、スマホ向けのゲームは細切れの時間でプレイすることが多い。一回のプレイ時間平均は5分とかそんなものだと思う。こうなると、5分の間に何らかの楽しみが見い出せるようにしたい。必然的に、目標をシステム側から明示し、その目標を短時間に少しでも進められるような仕組みが欲しくなる。

実際プレイしていても、作業の合間のちょっとした休憩時間などに「何しようかな」と迷っているうちに休憩時間が終わってしまうのではなく「とりあえず虫を捕まえとくか」といった形で、小さな楽しさが実現されていると感じる。

なぜリワードを明確にしたのか

これは自由度の件とほとんど一緒になるが、細切れの時間でプレイした場合に、そのプレイの間に何も嬉しいことがないと、楽しめないと思う。

もしコンシューマ機のどうぶつの森シリーズのようなゲームシステムのままにしていたら、他のどうぶつの所に運ぶように依頼された物を受け取ったあたりで時間切れ。次に起動した時には何故そのアイテムを持っているのか、誰の所に運ぶんだったか忘れてしまう。よく覚えていたとしても、リワードによるカタルシスが得られるのは、宛先のどうぶつの所に持っていた時だけで、受け取った時にはカタルシスが得られない。

まとめると、短いゲーム時間でも多少のカタルシスを得られるように設計した結果が、あの明示的な目標とリワードだと思う。

なぜいくつかの要素をカットしたのか

これは単に開発リソースの問題や、そもそもどの程度ヒットするか分からないタイトルに投資できる金額には限りがあるとか、そういう理由でしかないと思う。

化石やハニワがない事や、キャンプ向けの家具を中心に作り直したりしなかった理由は、単にこれだと思う。

任天堂ほどの巨人でも、取れるリスクには限りがある。

なぜサーバーが1日程度で軽くなったのか

まじ凄い。ネタ半分で頭に「なぜ」ってつけてるけど、実際これは任天堂さんが少しは情報公開する気がするから、楽しみ。

特にDBをどうしてるのかは気になるけど、マリオランもGCPだったし、まぁBigTableなのかなぁ。などと邪推している。

何にせよ、特にWiiU以降、任天堂さんはインターネットやクラウドコンピューティングに詳しくなっている感じがして、技術への投資を怠らなかったことが、あの劇的な速度向上に繋がったのは間違いないと思う。

なぜキャンプにしたのか

これが結構難しくて、憶測でしかないんだけど、僕なりの検討が進んだ。

そもそも家具は家の中に置くものばかりになるのに、キャンプという状況設定にしたのは結構妙だ。わざわざ変えた理由があるように思う。

これは、先のナラティブの話だ。プレイヤーとキャラクターの操作と行動は一致していた方が良い。この延長で、キャラクターの喜怒哀楽はプレイヤーの喜怒哀楽と一致していた方が良いし、おかれた状況が一致していると何だか自分と画面の中のキャラクターが近い感じがすると思う。

僕の推測を言うと、スマホゲームは、外でやる場合が多い。これだ。

外を出歩いている(かもしれない)のに自分の村やその中の自分の家で家具を配置するのは変じゃないか。プレイヤーが外を出歩いているなら、プレイヤーキャラクターも外を出歩くべきじゃないか。という事なんじゃないか。

なぜ面白いのか

ここまで、特にポケ森で変更・追加された要素がなぜなのかについて僕なりに分析してきた。セルフカウンターエントリとして、あえて「なぜ面白いのか」について検討してみる。

より正確には、面白い部分はどこか、だ。

個人的には、やはりこのゲームのキモになるのはネットでSNSの友達と繋がることが出来る部分だと思う。

だからプレイヤーキャラクターを女装させたスクショがTwitterで回ると面白いし、バザー売り物をスクショで流して宣伝するのが楽しい。

特にバザーは非常に面白い要素だと思う。いっそもっとソーシャル優先にして、ユーザーによって手に入るアイテムが偏るようにしても良かったのかもしれないが、それはそれで一人で遊べないタイトルになってしまうから難しいかもしれない。

また、Miitomoでも非常に気をつけていたように思う部分だが、すこしでも他のユーザーを不愉快にしかねない要素がことごとく排除されているのもポイントだと思う。どうしても他のユーザーを不快にするような事はしてしまいがちだ。これはシステム的に排除した方が良い。

本編どうぶつの森では、どうぶつ同士のケンカもあったし、手紙に自由な事が書けたし、音楽を作れたり洋服を作れたりしたが、これらを(少なくとも最初は)排したのは、こういった不快な行動をさせないためだと思う。

ひとりよりふたり、ふたりよりよにん

どうぶつの森64版のキャッチコピーは「ひとりよりふたり、ふたりよりよにん、よにんより・・・たーくさん」というものだった。

そして「どうぶつの森」のジャンルは「コミュニケーション」だ。(任天堂の公式ページより ニンテンドウ64版『どうぶつの森』

e+ではSDカードを使ってスクリーンショットを共有できたりと、ネット上でのコミュニケーションを意識していた節がある。 ……まだまだSDカードも高価だったし、SNSも発達してなかったし、あまり見かけなかったけれど。

今回のポケ森の大ブームは、こういった初期シリーズからの悲願が叶った形とも言えると思う。

特に中心的スタッフの野上さんや江口さんのインタビューでは、当初からコミュニケーションを主眼にしていたようだ。

(参考: 『どうぶつの森e+』開発スタッフ インタビュー

僕は最初にプレイした時の印象で、どうぶつの森のコンセプトを「スローライフ」だと考えていたけれど、本来のコンセプトが「コミュニケーション」だったなら、今回のポケ森には納得行く部分も多い。

Switchで出すと思われる新作には、ポケ森の良さと旧シリーズの良さを上手に織り交ぜたものになって欲しいと、一方的な期待であるのは承知の上、発表もされていない今から待ち遠しい気持ちだ。

*1:矛盾だとか手のひら返しだとかと叩き始めるはてなーが出てくるに50000ベル

スタンディングデスク環境の紹介

紹介、とえらそうに言いつつ、さっき組み立てたばかりで、長期的にどういう影響が出るかはまだ分からないんですが…。

簡単にメモ書き程度に紹介しておきます。

必要なもの

  • スタンディングデスク
    • 普通のデスクを底上げしたり何か上手いことやってる記事も見かけましたが、案外安くて良いものあるので買った方が楽そう。
  • 靴やサンダル
    • 素足でずっと立ってるのは辛いので、何らかの室内履きがあると良いです。ナースサンダルとかも良いらしいけど僕はクロックスにしてみた。
  • ディスプレイ
    • 個人的に24インチ以上のものを勧めます。 ノートパソコンを直接見ると、長時間作業できる姿勢にするのが不可能なので、買いましょう。 そんなに高くないよ。

オススメのもの

上記のそれぞれ、オススメを貼っておきます。

僕は100cmのにした。

医療用クロックスにすると静電気が起きにくくて良いっぽい。

まぁ安定の。もっと安いのでも良いと思う。

コツとか

先に上げたデスクのメーカー「バウヒュッテ」さんが、スタンディングデスクの高さの紹介ページを用意してくれてます。

ただ、このページの上半分の自動計算じゃなくて下半分にある「立ったときに腕が90度になるように」という基準でチューニングすると良いです。

www.bauhutte.jp

僕は上に貼ったデスクのキーボードエリアにMacBook Pro、上にディスプレイ、という形にしてます。 こうすると、お高いキーボードとマウスを買わなくても良いのが嬉しいですね。 画面はミラーリングで本体側の輝度を下げて見えないようにしてます。

やってみた感想

いま住んでいる家、自室が狭いんですが、イスがなくなると結構広くスペースを使えるんですよね。盲点でした。

足下にカバンなどを置いておいても邪魔にならないし、スペース上の都合も良い感じです。

ただ、この記事を書いてる間にも徐々に疲れてきたので、オフィスなどで気軽に横になれるスペースが用意できない場合は、扱いにくいかもしれません。 逆に、自宅でベッドがある部屋にデスクも置くような場合はすごく良いと思います。